“石井一とJATP in Tokyo”を開催

   来る8月24日(土)夕刻、日比谷公会堂で“石井一とJATP in Tokyo”を開催いたします。ジャズのお好きな方は奮ってお出かけ下さい。昨年に続いての公演です。 
   思い起こせば1953年秋、日劇を興奮の渦に巻き込んだ歴史的ジャズの祭典、JATPをいまここにもう一度再現し、あの時代にタイムスリップし、ノーマン・グランツならぬ石井一がプロデュースするジャズの新企画を提供することにいたしました。

2012 石井一とJATP in Tokyo VOL2(出演者) 

今、国内外で最も活躍している30 代から40 代の最強なジャズメンを一堂に会して、ここでしか聴けないspecial なメンバーを集めました。

片岡雄三(トロンボーン) カタオカ ユウゾウ
ハクエイ・キム(ピアノ) ハクエイ・キム
上村 信(ベース)    カミムラ シン
大槻"KALTA"英宣(ドラム)オオツキカルタヒデノブ
荻原 亮(ギター)     オギハラ リョウ   
岡崎好朗(トランペット)  オカザキ ヨシロウ
川嶋哲郎(テナーサックス)カワシマ テツロウ
多田誠司(アルトサックス) タダ セイジ
谷口英治(クラリネット)  タニグチ エイジ
石井 一(MC) イシイ ハジメ
 
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   ノーマン・グランツ(ジャズ・プロモーター・プロデューサー)の率いる総勢30名を超えるアメリカのトップ・ジャズマンが1953年の11月に来日した。敗戦後間もない荒廃した東京・羽田空港へ到着し、オープンカー10数台を連ねて銀座へ入った。私は当時18歳の高校三年生だったが、ノーマン・グランツを乗せてパレードの先頭車・クライスラーを運転した。私の父が当時、日本マーキュリーレコードの社長をしていたが、私財を投げ打ってこの企画を受け入れた。いま回顧すれば父もよくそれだけの決心をしたものだと改めて感激を覚えている。
 あれから59年の歳月が流れたが、この最大のイベントは私が初めてジャズにめぐり会った瞬間であり、私の青春時代の古き良き貴い思い出として今も鮮明に生きている。
 JATPとはJazz At The Philharmonic の頭文字をとったもので、各楽器の一流のプレーヤーを一堂に集めて演奏するスケールの大きいジャムセッションである。
自由奔放で単純明快にスイングしてブローする特殊集団なのである。プロ野球のオールスター戦と同じ様な豪華なラインアップで、卓越した個人技をセールスポイントとする超一流のジャズミュージシャンを臨時編成で集めた即興のグループであった。
 1940年代はジャズの黄金期であり、ビックバンドの最盛期であった。オールドジャズファンなら誰でも知っているカウント・ベーシー、デューク・エリントン、グレン・ミラー、ベニー・グッドマン、ウッディ・ハーマン、ハリー・ジェイムスなどは当時の代表的なビッグバンドだった。ノーマン・グランツは全米各地から秀でた有能なプレーヤーをあらゆるグループから発掘してきた。演奏では楽譜は使用せず、個人のプレーヤーが即興合奏する。しかし技術が抜群でインスピレーションとフィーリングが卓越しているのでユニゾンのハーモニーも迫力満点で実にダイナミックなものだった。一人一人のプレーヤーにとっては、与えられた譜面に従ってビックバンドの一構成員として制約されたプレーをするよりも、はるかにリラックスして楽しい演奏ができた。自由奔放に実力を発揮し、思いのままのプレーができる。聴衆の生の反応を楽しみ、両者が一体となるJATPは興奮と熱気のルツボと化した。
 グランツは全米各地でそして全世界でJATPを企画し大ヒットした。1950年代に入るとジャズ界の大物はほとんどグランツの傘下に入った。ジャズ史上ではグランツほど多くの一流のジャズメンと契約したプロモーター兼プロデューサーは他にいない。強力なるラインアップがJATPの人気を不動のものとし、プレーヤーもJATPのメンバーにランクされることは超一流プレーヤーとしての認知とプレステージを得ることとなった。
 1953年、グランツは全米での最高のメンバーを率いて来日したが、そのころはスイングジャズの最盛期であったと言える。その時の主たるメンバーを最後に列記するがまさに空前絶後の豪華版だった。日劇のステージの上で展開されたリズム感あふれたジャムセッションのド迫力と、それと対照的なバラードメロディの美しさは形容ができないほど魅力的だった。当時のJATPの来日は日本のジャズ界に有形無形の影響を与えてくれた。あの秋吉敏子がオスカー・ピーターソンに見いだされたシンデレラ物語もこの時生まれた。
当時はティーン・エイジャーの三人のアイドル娘、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみが日劇の楽屋に連日通ってきて有名プレーヤーのサインを、私を通して求めていたのもつい昨日のことのように懐かしい想い出である。この時のJATPの来日はまさに日本のジャズ界に空前のセンセイションを起こした。日本のジャズマンやジャズファンに与えた興奮と陶酔はまさに空前絶後のインパクトを残してくれた。 しかし、JATPの魅力と迫力は当時の日本ではほとんど知られてなかった。この来日を企画し受け入れることは大変危険な賭けだった。しかし、父はそれにあえて挑戦し成功させた。

1953年来日のノーマン・グランツとJATP in Tokyo のメンバーは以下の通りです。

(トランペット)ロイ・エルドリッチ(42歳)
(トランペット)チャリー・シェイヴァース(36歳)
(トロンボーン)ビル・ハリス(36歳)
(アルトサックス)ベニー・カーター(46歳)
(アルトサックス)ウィリー・スミス(44歳)
(テナーサックス)ベン・ウェブスター(44歳)
(テナーサックス)フリップ・フィリップス(38歳)
(ピアノ)オスカー・ピーターソン(28歳)
(ギター)ハーブ・エリス(32歳)
(ベース)レイ・ブラウン(26歳)
(ドラムス)シェイシー・ハード(35歳)
(ドラムス)ジーン・クルーパー(44歳)
(ヴォーカル)エラ・フィッツジェラルド(35歳)
(MC)ノーマン・グランツ(35歳)

 今回も昨年同様、父の思い出とともに企画させていただいた。お陰で現在活躍されている一流のジャズマンとの交流もかなり出来た。これらジャズメンの中から特に有能でお客さんの人気も高いプレーヤーの方々に集まって頂いた。念のため59年前の来日JATPメンバーと今回の日本版JATPメンバーの年齢を比較してみて驚いた、アメリカ側は現在は残念ながら一人も生存されていないが、59年前来日時は、最年少レイ・ブラウンが26歳、最年長ベニー・カーターでも46歳、平均は30歳代の若さだった。
 日本の若手にもJATP流のプレーを聴かせるスイング系がいない筈はないと思うので、次回も59年前の来日グループに比肩する様な年代のプレーヤーを是非集めてみたい。そんな思いも含めて今後このJATP企画を毎年継続して行い、多くのミュジシャンに登場頂き、日本のジャズの発展の為に一層寄与したいと念願している。