予算委員長として奮闘中です!

今週から、本予算が衆議院から送付され、私が委員長を務める参議院予算委員会での審議が始まっています。私は番台(通称:正式には委員長席)から取り仕切っています。月曜、火曜と朝9時から昼を挟んで夕方までみっちりNHK中継入りでしたので、多くの方が視聴されたと思います。水曜はテレビ入りではなくとも審議があり、木曜、金曜も立て続けですからこの一週間で30時間程度の審議時間となります。予算案がメインですが、もちろんそれに密接不可分な経済政策や安全保障など、国の根幹に関わる議論が行われています。日中の休憩は昼の数十分しかありませんから、その間に昼食を掻き込みながら様々な決裁を行います。政治は体力、と言いますが、まさにそれを地で行くポジションです。全国の皆さんにお会いする時間が取れずに恐縮ですが、是非ご意見を、メールなどインターネットを通じてでもお寄せいただけると嬉しいものです!
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プレスセンターで講演

   私は、10月10日、プレスセンターで西日本新聞社主催の二水会において「民主党再生への秘策」と題して講演を行いました。出席者はマスコミ関係者が特に多かった。講演内容には専門的で独断と偏見があるが意図的に裏側を含めて本音トークとなっているが、面白いとの評論が多くの出席者から寄せられたので、あえてここに掲載することにいたしました。 
   講演内容は以下の通りです。

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   民主党再生への道なんてあまりありません。どういう話になるかわからないが率直に思うことを述べたい。
 今、私は党の筆頭副代表、予算委員長。予算委員長は5月にマニラ行ってゴルフして辞表をたたき付けたが、またただちに自民はじめ野党の方からラブコールがあって余人もって代え難いといって再選された。しかし今日は公職を抜きにやや評論家的に話したい。
   政権交代から3年。その総括は厳しいもの。民主にとっては逆風。相当すごいものがある。その前の小泉郵政選挙で自民300、民主100議席だった。その4年後の政権交代選挙では逆転した。今度はまたそれが逆に300対100になる予想ができる現在の状況。それをできるだけその差をせばめたいと思っている。私のみたところいきなり結論めいたことを言って恐縮だが自民180、民主120、そのほかが150。トータル450。定数は480だがおそらく定数削減するから、そういう三分の一ずつの割り振りになるんじゃないか。維新が1番になることは今の小選挙区制度ではありえない。そのほかはばらばらの政党があって、どこがどこにくっつくかが次の政権構想であり、第1党が単独で過半数をとることはない状況だ。第二党、第三党あたりの混成の中の連立政権ができるだろう。その選択の中には自民、民主の大連合も一つの考え方ではあるが、今回の総裁選で安倍が返り咲いたので絶対に大連立はありえない。これがほかの候補だったら可能性があった。今はその可能性がなくなった。
   各論に入る。私は政治改革特別委員長をやって次に自治大臣、今の小選挙区にかえた張本人。法案を立案し、区割りをやり政党交付金を導入するなど、もろもろのことをやった。最大の理由は3つほどある。なぜ70年も続いてきた中選挙区をかえたのか。一つは一党単独で政権交代がない。万年自民党の政権が続く。例えば鹿児島1区でも2区でも、大分でも3つある定員の1つは社会党がとる。自民同士の同士打ちになる。社会党は敵ではなくなる。そうなると自民は金をあつめて派閥の戦いになる。その代わり政権は常にある。総理になろうと思ったら金を集めて子分を選挙に出す。その代わりちょっと間違ったら牢屋(ろうや)の中に入る。これを繰り返してきた。こんなのやっていたら、日本の民主主義はありえない。中選挙区の同士打ちと金の使いあい。みなさんの一世代、二世代前の経営者なら政治家になんぼ金もっていって仕事をもらうかになった。これをやっていたら日本の民主主義が育たなくなるという強い信念が小選挙区にかえた。
小選挙区は間違いなく2大政党になる。第三党が出ても小選挙区では通常ではとおりません。比例であがる。本当は比例を入れたらいけない。米国、イギリスではない。白か黒か決める選挙なんだから、比例は入れては駄目。だけど、そういう小政党の連中を納得させるための妥協として混成の選挙制度になった。
   さて小選挙区になって総理大臣が10人以上かわった。この中はほとんどが一年交替。例外は小泉だけ。小泉だけが政治家らしい総理だった。たいした成果ではないが郵政改革をやってみのらせた。選挙民にはわかりやすかったし、シングルイシューで政権を維持した。そういう意味で似ているのが野田。これは消費税で一切うしろにさがらない。押し通した。小泉に比べてまだまだ党内基盤が弱く、まもなく終焉を迎えるが、あとの総理はなにをやったかわからん。一年総理したというだけ成果は見いだしにくい。
   せっかく政権交代しようとしたのに総理が次々に替わり政治が低迷したのか。最大の問題は自民党が村山を引っ張り込んだこと。自民が何十年の政敵のトップを野合して政権にひっぱったのは海外では許されない。ここにせっかく小選挙区制をしたのに迷走した最大の原因がある。普通だったら社会党も受けませんよ。これまで戦ってきたのに。受けて総理と5、6人の大臣をつくったが党はなくなった。自民はもっと悪い。なりふり構わず裏から籠絡してひっぱった。これが今の迷走に繋がった。ようやく国民も目が覚めてこの前の選挙で自民が大敗した。だからここで良い政治を民主がすればよかった。あまり成果あがらないので、国民はまた次の選挙でどうしようかと困惑している。 
   それともう一点。公明党の存在が政治を毒している。選挙のときは違うことをいっていてその後は政権にはいっていく。自民は票がほしいから妥協する。政策を無視した政局を国民は見逃し、とくにマスコミがそれを厳しく警告し発信しないで、基本問題を無視したまま報道するから政治がミスリードされてきた。
   本論にはいりたい。なぜ民主党が迷走したのか。私は自民から民主に変わって全然文化が違うと思った。行きがかり上変わった。政治改革をやるという宮沢総理が最後に変節し廃案にしようとした。それで出た。政治信念でやった。自民が嫌いで出たわけではない。しかし、でたときは今の小沢分党と違う大義があった。出た連中は議席増やして国民に歓迎された。そのままスムーズにいくところが今言った政党の野合によって、10年迷走しようやく3年前にもろもろの経過を経て、いよいよ自民が断末魔を迎えた状況で政権交代した。
   なぜ民主が迷走したのか。それは自民の組織原理を全否定をやったから。自民の組織の論理は派閥、族議員、官僚依存、当選回数主義、年功序列、長幼の序、全会一致主義。どの言葉も嫌気が刺すような言葉。しかしそれぞれものすごい歴史の中で政党維持に必要なこと。それを民主はすべて否定した。表向きはさわやかな政権姿勢。実際問題、政党を運営したり議員に対しての処罰とか、これを無視したら機能しなくなる。みなさんの会社にも独特の伝統がある。自民党政治を否定するため、ことごとくこの論理を否定せざるを得なかったために今日の破滅がきた。私は自民の中でも大臣にまでなってその文化を持っていて民主に入ったからよく分かる。その顕著なものが例えば2世の禁止。民主党では2世議員を禁止している。親の地盤からでたらいかんと。自民のやった悪い制度だから。しかし総裁選の候補は今でも自民党は全員2世。2世が悪いとかじゃなく、選挙区をかえればいい。私の息子も議員やっているが私と全然違う選挙区。2世の地盤継承を認めない。これが自民の長所であると同時に欠点。2世はおやじがえらい政治家だから東京で全ての学生生活をする。頭の悪い奴は裏口入学する。次に就職も裏口で電話1本で入る。実社会を2、3年やったら席が空いたら選挙に出る。弊害の面もかなりある。当選を重ねて大臣を重ねて総裁候補になれる。ある意味、恵まれ過ぎている。これでは庶民の気持ちはわからない。それが堂々と通じているのが自民の文化。それを一切否定しているのが民主の文化。もう少し半分ぐらい向こうのいいところを取り入れたらいい。  それを全否定するから、3年間やって、言うこととすることが違うと国民に言われた。構成メンバーが左から右までいっぱいおる。リーダー不足。何か言ったって左から右までいるので意見があわない。しかし絶対に主張は曲げない。エンドレスに50時間でも80時間でも議論するんだから。勉強はすきだけどほどほどにして欲しいと言いたい。これまでの会議で私が出て行ってガーンと言って議論が打ち切られることが何度もあった。それでも不満な奴は離党すると言う。そうなれば党としての同志感もいたわりもない。政権維持もあらへん。もう一辺親の腹にはいってでてこいとでも言いたいぐらい。原則的な原理主義者が多い。
   ただ主張した方向はそんなに間違っていない。政策というのはできたこともできなかったものもある。埋蔵金をとりあえず16兆円探し出すと言って2兆円しか出てこなかった。政府の金を掘り出すと言ったけど、官僚の方が頭が良いからなんとか隠して、そんなものすぐに出てこない。社会保障、年金。これもかなりやった。失われた年金もかなり掘り出した。しかし厚生年金と共済年金、更に国民年金を一体化することになれば、40、50年前から掛金かけている人になんと説明するのか。口では言えても一体化は時間掛かるし、難しい。
   コンクリから人へ。これも八ッ場ダムをいったん止めてまたやり出したり、高速道路の無料化、チルドレンファースト、天下りの禁止、公務員の削減、うじゃうじゃうじゃほかもいっぱいあったけど道半ば、しかし方向性は間違っていない。
自民の方向性は違う。庶民のサイドまで降りていない。民主党は言うことは正しかったけど、実現が不可能なものもあった。それをマスコミがたたき回っている。だから国民が自民に返したら良くなるかといえば、なかなかそうはいかんのが政治。民主は自民の欠点を学び正しいことは言ったけど、机上の理論の勉強家が多い。頭でっかち、きまじめ、原理主義者。なんせ公募で人間をとる。経歴みたら東大やら京大、悪くても早稲田か慶応。言い方悪かったかな。早稲田、慶応の方が政界では上やから。留学しているし、松下整形塾やどっかの研究機関におるし、なんかの話をせいと言ったら一人前に話よる。ほんで自分ほどえらい者はいないと考えている。選挙なんか知らへん、駅前で演説したらええんや。風がふいとったら当選する。しかし逆風になったら負けるに決まっている。こういう状態が今の民主の原状だ。
   それからリーダー不足。メリーゴーランド内閣なんて言うんですが、かならず顔が出ている奴がおる。人の悪口は言いたくないので名前はいわない。しかし党内に波紋を起こす。要するに5~7人の松下政経塾やらへったくれやらがいうのが必ず顔を出す。それで仲良しでたらい回しする。そうなるとほかに賢い奴が多いから、必ず不満が出る。私の処にどれだけ不満がくるか。「副代表、こんなことやらしていたら私は党を出る」。言うても聞かない。ここが自民とは違う、非民主主義的民主党なんです。こういうことから段々とダウンしてきた。もう少し経験不足、未熟もあって、政治というのは国民の生活を守り、政策を実現させるためにはときには悪いことをせいとはいわんが、からいものも食べ酸っぱいものも食べないといかん。そんなもん一切相手にしないというのが民主党の模範生。自民は妥協ばっかりやってきて、ダウンした。こういう2つの大きな政党の動きがね、民主副代表としてこんなことはあまり言えないが。そういう違いがあった。自民のわるいところは批判し、しっかりと人物をみながらあんまり政党にこだわらずに人物を育てていったらいいと思う。
   民主の中でもかなりの悪質なものは出た。残っているのはかなり良質な部分。あとは世間で修業させるために選挙で落とすとか、人生の苦しみを味わいながら、お前の頭の頭脳だけでは政治ができないんだぞというのを教えていったら最終的には政治家のタマとしては民主の中にかなり良いのが存在している。
 政局の展望について。いつ解散総選挙があるのか。3つの説がある。臨時国会を開いて特例公債、選挙制度改革を処理し年内解散。来年の予算編成を終えて通常国会の冒頭解散。任期満了か同時選挙。民主は一番最後をとりたい。自民は最初のを。その綱引きをやっている。結論的にいうと、世論調査など見ますと、真ん中のケースの可能性が非常に強くなってきたと思う。
いろいろな政治状況を考えた場合に、近いうちに解散というといて谷垣さんがいなくなったから約束じゃないと言うのは人間の社会ではちょっと通りにくい。ほどほどのときにいかに負けても、また次の日があるということを考えてやらないと。不利だからといって来年7月までひっぱるのは大変。そうなるとその辺がほどほどの潮時かなと思う。そしてその結果どうなるのか。それは冒頭に言ったように自民、民主で300議席、3分の2。あとのその他もろもろの政党、まぁ維新の会も政権とると言ってたが今はだいぶん失速してきた。公明が30、40の規模。維新もその程度とみている。みんなの党が勢いあったが、維新が出てきて失速。維新の半分くらいかな。社民とか、共産とか、立ち上がれとか、へちゃくれだとか、いろいろありますわね。これらが全部で3分の1だ。
   よく聞かれるのが、小沢の国民の生活が第一がどれくらいになるか。今50くらいだが、最近でている世論調査みると小沢以外とおるやつはいない。そこまでいかないとは思う。しかし小沢が最大に人気があったとき自由党で600万票とった。24人くらいの議員をもった。小沢がそのときに私にともに行動することを求めた。俺はいったん動いたらほかには動かないと言って断った。だから小沢とはつかずはなれず。
小沢のことで、ちょっと脱線するが、この前の3年前幹事長として選挙をしきった。私も選対委員長で選挙をしきった。それで政権交代を果たした。最大の党の功労者ですよ。ところが陸山会事件が出てきたらメリーゴーランドグループが排除した。党員資格停止無期期限と。私はそれはやめとけと言った。しかし世間体を気にする。裁判にやられた被告人を放り出すのは当たり前という筋論が通った。自民やったら違ったと思う。あのときは検察の横暴があった。とにかく大物政治家をやっつけたら自分の手柄であると。結果、大阪で厚労省の村木事件が起きた。あれでやり玉に挙げられたのが私。東の小沢、西の石井をやね、検察はパクろうとした。しかしね、私は手帳をもっていて詳細にメモを書いている。アリバイがあったので私の請託がなかったことが証明された。最終的に村木局長が無罪。検察の首が飛ぶ事態になった。
 陸山会事件を細かくはいわないが、秘書が手続間違ったことが問われているのに本人を追い出すのはやめとけと言ったが民主党はやめなかった。そのために今日小沢は腹に据えかねて出た。私は小沢の離党はそれなりの理由があり党執行部にも落ち度があると判断している。
   衆議院議員の中にABCという議員のクラスがある。金銀銅とも言いますが。金は小選挙区で勝ってきた議員。銀は比例復活した議員。3番目はリストにだけ載って党が議席をとってくれたので選挙運動も何もせんで通ったのは銅。小沢のところについていったのは銀や銅の議員が多い。なんでついていったのか。必ずしも私のように小沢を知っとってイエス・ノー言える議員ではない。リストに載っているだけで通してもらった奴もおれば、次の選挙でとおりっこない奴や惜敗率で上がった奴。次落ちることきまっているから、何でもいいから新しいところへ、小沢についていったほうが得ちゃうかと。景気の悪い民主におってもしゃーない。こういう感覚の奴がおるから50人ついていったけど、私は政治家と思っていないような連中が多い。小沢がいくら選挙の神様といわれてもあの連中を通すことは神さん以上に難しい話。小選挙区で+α。比例あわせてせいぜい14、5人がマックス。小沢の最盛期の半分か、3分の一くらいだろう。比例票も250万票出たら御の字じゃないか。要するにその他もろもろ入れて3分の1。こういう状態の中で、次の政局が動いていくのではないか。
 そしたら自民なのか民主なのか。それは議席の差による。冒頭いったようにリーダーの組み合わせが両党歩み寄りの余地が少なくなってきているだけに自民が仮に第1党になったとすればついてくるのは先ず公明。安倍と維新が近いからそれと組むのも想像できる。しかしこの政権も自民の鷹派と公明では政策は月とスッポンほど違う。維新はもっと違う。維新は橋下人気は高いが大阪中心だけ。九州にいったって人気が出ると思わない。熊本の松野君がいったから1議席くらいとるかもしれない。県庁所在地では多少可能性があると思われるが、福岡1区みても九州でとれるのはそれぐらいじゃないか。比例票はわからないが、数名くらい。大阪以外は祝儀票はでてこない。小選挙区で勝つのは2大政党の候補者がいるから非常に難しい。加えて維新の支持率が急落している。なぜ急落したのか。一つは週刊誌が誉めすぎた。維新の船中8策は民主マニフェストよりホラが多い。憲法改正して議員を半分にするとか、公務員の定数や給与を削るとか言うことは簡単なようで抵抗も強い。改革しようとすれば必ず犠牲者が出てくる。長年続いた社会的組織や機能は一朝一夕にかわるものではない。維新の政策は破綻することとなる。
  ここにきて一番人気を落としたのが、国会議員の公開討論会。橋下、松井はまだしも東国原、中田、河村、大村とかがしゃべって国会議員が話したのはわずかしかない。あれはテストなのか、デモンストレーションとすればはなはだお粗末、さすがのマスコミもあきれ果てた。それから難波駅前で塾生7人が街頭演説。出来が悪かった。橋下も出てこないし、あれが優秀な学生なのかと。そうなると300、350人候補者立てるのはどっから持ってくるのか。維新の顔がみえない。あとは東国原と中田など。橋下はお金はださん、三千万、五千万用意してこい、なかったら借りてこいと。そんなことなら金持ちのどら息子しかいなくなる。まともなサラリーマンはきませんよ。全国立ててどこまでいくのか。私は個人的には橋下氏とは実は仲がいい。伊丹空港をなくせという点で全く一致している。自民党、民主党の二大政党下で第三局が大きく伸びることは期待できない。
   民主の悪口をだいぶ言ったので自民の悪口で締めくくりたい。この間総裁選があった。予想段階では石原が本命。現に議員票ではトップだった。注目するのは安倍と石破の議員票の20票これが最後の決め手になった。決選投票でほかの候補の票は均等に配分された。3人の長老が背景にいた。石原に入れ込んだ。石原は老人キラー、オヤジが槙太郎。失言で自民支持者が落第点を与えた。まさかの安倍があがってきた。自民の議員は石破嫌いが多い。彼は我々と一緒に自民党を出たが、また舞い戻った。しかし決戦投票では議員票の差が2位を1位にかえた。これは30年ぶりのこと。党員票は石破が圧勝した。一般の党員票は民主主義の原点。やはり国民サイドからしてはこれは何だとなる。
 一年間やって成果上がってない者がもう一度やるのかという批判もある。仮に安倍政権になれば極右政権。いさましくていいかもわからん。彼がやりたいのは憲法改正、集団的自衛権。尖閣、中国に厳しく対峙する。政治家としては勇ましいが、保守思想が、国民の皆さんにどれだけ共感を与えるか。それよりも経済状況、雇用、年金をどうにかしてくれと思っている。時代にあう政権になるのか。しかも連立のパートナーが維新であったり、公明である場合、主張がほど遠いのに安倍政権が主張する伝統的保守主義、自民党らしい自民党内閣が存在できるのか。いささか危惧を感じる。
   民主代表選。私はやるなといった。そんな余裕あるかと。それよりも残された数カ月でしっかりとした仕事をしろと。しかし、ほかに3人出て、野田が7割とって当選。しかし野田に人気があるわけではない。4人目に変えるのか、やめとけと。自民が政権おとしたのも小泉のあとに安倍、福田、麻生と3人変えていい加減にしろとなった。70%の票は野田人気ではない。しかしあの4人の中では、それと前の2人に比べたら野田のほうが少しはまし。提示したマニフェストも方向性は間違っていない。その方向へ、徐々に進んでいる。それで達成度が83%もあれば、50%もある。みんな前に進んでいる。ところができなかったものもある。それをマスコミやら世間は100点か0点となるから「できてないじゃないか」となる。子ども手当も満額じゃない。高速道路の無料化もできていない。しかし徐々に前に進んでいるのは確か。今度の分裂騒ぎの激しい試練と、3年間の貴重な政権経験を経て現在も残っている者は相当腹の据わった、政策に通じている良質な人間が残っている。今後ですね、次の政権はどのようにあるか分からないが、そんなに長い安定した政権にはならない。必ず突き当たってくるところがあると考える。二大政党は自民か民主で対局的に動くことが一つの制度設計上ある。野に下った場合は堂々と野党としての存在感を示す。変な妥協をしない。政権を維持するためには何が何でも社民、公明でも食らい付く、そんな卑しい根性はだすなと。それが民主党の再生する道だ。自民の悪いと言っていた中にも立派な政党として尊重しないといけないものがある。長幼の序とか、当選回数主義とか、いろいろある。全会一致主義といっても最後まで議論したら、自民はトイレに行くかなんかして消える。それで全会一致にする。民主党の連中は最後まで騒ぐ。そのあとでも政調会長なんかは体を張って止めて部屋から出さないようにする。最後は離党するという。どっちがええ?自民のほうがええで、トイレいくほうが。貴重な経験を重ねながら、民主党も捨てたものではない。中身をじっくりみたらこれから経験を重ねていけば間違いなく良いリーダーになる者もいる。そういうところで未熟さを反省し今後の再生を期したい。

【質疑】
Q:民主党代表選と自民総裁選が終わり半月たった。国会が開けない。党首会談もできない。国民は違和感。打開策は

A:ぼつぼつ潮時だと思っている。谷垣さんが退陣したのは解散に追い込めなかったのが最大の原因。だから安倍は間違いなく会談をしたら解散の時期をせまる。ところが野田サイドはそれだけは言わないという態度だから時間がかかっている。事実、解散の時期だけはおかしなもので総理だけが知っている。側近にも相談しない。解散時期については嘘をいってもいい。中曽根の寝たふり解散もあった。残された任期は一年足らずだからその間の裁量権、決定権は総理だけにある。そのことを聞くのもいささか問題。聞いても言わない。ところが安倍はそれを引き出さないと前任者の轍もある。特例公債を通さないと、自衛官、警察官などの給料も滞る。国民生活には深刻な影響が出る。選挙法が違法状態にあって1票の格差で違憲判決まで出ている。これは処理しないといけないが合意できていない。民主、自民で合意できても公明が比例部分の削減に反発する。こんなばかなことを放置して良いのか。区割りにも最低三ヶ月いる。選挙制度の区割審査委員会に持ち込むことを考えると緊急に処理して3カ月を残して年明けに解散に踏み切るのは憲政の常道であり、国民も求めている良識だ。近く総理にも会うから真剣に提言しようと思う。両党は最後のお互いのしのぎあいにはいっている。

Q:3カ月というのは周知期間。

A:裏でいわれているのは仮に今のまま選挙しても全部が無効にならない。次のことさえ決めておいて、今回だけ現行選挙区で施行しても違憲は逃れられる。決定できないことは立法府の権限自身を放棄するような話だ。

Q:近いうち解散に目がいっているが、参院選のほうは

A:参院は一方の格差は5倍以上。これは1人区。全国29ある。ところが東京やらは5人だしてもまだ人口が多い。参院制度を抜本的に改革しないとねじれが必ず起きる。衆参が同等の権利をあるうちはいつの場合でも参院のほうが問責も出せる、参院のほうがえらくなる。1人区は小さい県。保守地盤で自民に有利なところ。自民はなくしたくない。しかしこれを残したままでは一票の格差は放置され国民にベネフィットを与えない。政治改革のときに小選挙区に変えるのにどれだけの時間と労力がかかったか。それと同じ労力がかかるかもしれないが、ねじれの解消は制度から変えないと。
 衆院で負けると、次は参院で勝つという国民の不思議な振り子の論理もある。

Q:自民の良い点残せと。民主の派閥はどういう風に成り立っているのか。

A:良い質問。本質的に違うのは民主の派閥は生い立ち。旧民社系とか旧社会党、これは連合の支援を受けている議員が多い。自民から流れてきた保守系グループがある。ただ自民ほど強制力はない。金のしがらみも少ない。自民の派閥というのは中選挙区のときが一番強烈。人事、資金すべてが派閥。私は最初は自民に入ったとき、田中派の勧誘がすごくて、私は三木さんに考え方は近かったが、札束の大きさが全然違う。若いころは金はない、応援態勢はないのでどうしても寄らば大樹の陰となる。まだこの伝統は残っている。今回の総裁選をみてても派閥単位で議員票はほとんど狂い無く投票されている。
民主ではこれは絶対出来ない。旧社会党でもどこ入れるかわからへん。金の買収もない。それぞれの議員に独特の文化があり、かなりの差がある。それなりの背景的なもので派閥がある。規律と締め付けは非常にルーズなのが民主。自民はきつい。そこがまた重要。がちゃがちゃ言うてどうにもおさまらん奴。そうして党を出るという奴を抑えきれないのは、そういうにらみ、縛りが自民党ほどない。1人暴れだしたらどうしようもない。
それじゃ派閥のほうがいいのか。客観的に派閥の方がおかしい。政治家のくせにとなる。しかし暴れ回る奴を抑えるために派閥の効用がある。こういうおかしな日本の文化がある。今、民主は参院で1議席で88と87ですか。それが変われば議長がかわる深刻な話。衆で6。過半数がとぶ。内閣不信任案が通り解散になる。そういう深刻な状況を抱えているが、こういう重病患者の場合は派閥があったほうがいい。派閥があったら金を突っ込んでもとめられる。しかしこちらには劇薬も手術方法もない。ただひたすら神に祈るのみだ。

Q:かなり出て行ったから、良質な部分が民主党に残っていると。民主を救うのに救世主3人をあげていただけば。

A:難しいな。あげるとすれば20、30人あげんとな。悪質な部分は全部出たというより、出る理由は次の選挙の展望がひらけないから。それが最大の理由。しかし私はいつも党内で言うんだが、お前自分で議席をもっているんじゃないぞ。選挙から選挙までは党から出るのはやってはいけない。そういうことを分かってなくて自分のことだけしか考えない政治家が民主党には多すぎた。その人間は悪気はない。しかしながら完全に命を絶たれるのであれば党から出ていくという人が多い。あと残っているのは例えば岩手の1区と3区に階、黄川田がいる。2人は小沢グループにいながらとどまった。その様に良質な部分は残っている。今残っているのは苦しくても筋が分かっている連中だ。リストにだけ載って政治家になった奴、これは制度も悪い。もともと議員にならんでいい連中がなっているんだから。

参議院予算委員会で質問

   この国会最後の注目の場となった参議院・予算委員会の外交・防衛集中審議で私は沖縄の基地問題に関して質問に立ちました。この日、8月27日月曜日朝九時は、沖縄本島は折りしも暴風雨に見舞われ多くの人々が在宅で、全国に中継されたNHKの画面を見ていた沖縄の方々からの反響はすこぶる大きいものがありました。
   昨今、尖閣諸島、竹島等々日本固有の領土に対する一連の問題は我が国のみならず極東の外交安全保障を脅かす者であることはいうまでもありません。私が会長を務める参議院議員有志による沖縄・本土・米国連携による「沖縄の未来を考える会」では、沖縄基地問題打開に向け精力的に活動を続けております。この度、沖縄における在日米軍基地をめぐり、沖縄の北部・中部・南部の三市町村会が「辺野古沖埋め立ての撤回」と「普天間の即時閉鎖」に関する重要な決議を行い、8月2日、その三市町村会の代表を国会に招き首相官邸を訪ね、野田首相に決議文を手渡し、またその機会に議員集会を開催、100名近い国会議員(代理出席を含む)が参加致しました。
   いうまでもありませんが、沖縄における米軍基地問題については、1996年のSACO設置以降、17年を経ても普天間飛行場の危険性を除去することができておりません。普天間飛行場の閉鎖は沖縄の悲願であると同時に、かりに同飛行場付近で深刻な事故が発生すれば、日米同盟の危機となることは必至であります。そして10月には普天間基地にオスプレイを搬入する計画が進められており、9月9日には10万人規模の県民集会が開催されます。沖縄県民はオスプレイ反対の総意を政府に突きつけます。私はこの「10月危機」を回避するため最大限の努力を続けて参ります。

  質疑の内容は以下の通りです。
平成二十四年八月二十七日(月曜日)午前九時開会

委員長(柳田稔君) ただいまから予算委員会を開会いたします。
 予算の執行状況に関する調査を議題とし、外交防衛等に関する集中審議を行います。
 去る二十四日に引き続き、質疑を行います。石井一君。
 
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石井一君
 おはようございます。石井一です。
 外交防衛の集中審議でありますが、私は、本日、沖縄の基地問題に関して、これに集中して質疑をさせていただきたいと存じます。
 総理と対決し、あなたにしっかりして私の提言を申し上げ、あなたからの御答弁を求めたいと思うわけでございますが、前半は関係閣僚に御質問をしたいと思います。どうか答弁は簡潔に、当を得て、だらだらせずにひとつお進めをいただきたいと。
 財務大臣におかれましては、連日お疲れでしょうから、場合によっては控えの部屋でお休みいただいても結構であります。
 さて、まず、沖縄基地に対する政府の基本的認識を伺いたいと思うのでありますが、一九九六年、いわゆるSACO合意以来十七年の年月が過ぎております。普天間を解放し、そして名護市辺野古に代替地を建設するということを日米両政府は合意し、それを進めてまいったわけでありますが、この間、十七年間、十人の総理が替わっております。防衛大臣に至っては十七名、外務大臣は十四名と。その間、いわゆる目に見えた結果が出たか、タンジブルリザルトというものはほとんど皆無に近いのではないかと思うのでありますが、この状態の中でも、日本政府はこの日米合意に沿って今後もこれを推進するというお考えなのかどうか。
 まず、外務大臣の端的な御見解を願いたいと思います。

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国務大臣(玄葉光一郎君)
 十六年、そして十七年たっても解決していないのではないか、にもかかわらず、特に石井先生がおっしゃるのは、普天間の辺野古移設について、そのまま進めていくのかということでございます。結論から申し上げれば、辺野古移設については日米両政府ともコミットするということでございます。
 ただ、2プラス2、そして野田・オバマビジョン等々を通じて日米同盟を深化させる。そして、普天間の移設を、言わば海兵隊のグアム移転、嘉手納以南の土地の返還等々から切り離すということで、普天間の固定化は絶対あってはなりませんけれども、あわせて、日米同盟の深化、特に計画検討、RMC、役割、能力、そういったものの強化に努めていくということで、今、日米同盟についての議論も、この委員会でもございましたけれども、かつては普天間の問題ばかりに焦点が当たっておりましたけれども、普天間の固定化は絶対あってはなりませんが、日米同盟は深いところで相当の議論というものが行われている、そのことは明確に申し上げておきたいというふうに思います。

石井一君 普天間の固定化はあってはならないと言いますが、普天間の固定化がますます深化しておるというのが現在の姿ではないかと、私はそう認識しております。
 今日、参考資料を提示いたしておりますが、最近の沖縄の世論の動向というものをどのように見ておられるのか。この十七年間、知事は三名、名護市長は四名、そして四年ごとに行われる地方統一選挙において、政治情勢が刻々と変わってきております。自民党時代、自民党系の知事、自民党系の地方議員があって、なぜそのときに自民党さんもしっかりこれを処理しなかったのかなと私は思うんですけれども、今、沖縄の政治情勢というものはそんなに生易しいものではございません。
 さらに、最近、沖縄の北部、中部、南部の市町村会がこぞって決議を上げてまいりました。そこに、資料一から六までがそれであります。
 資料一、二は北部の決議。まず第一は、この第一の決議が非常に重要でありますが、辺野古を差し止めて普天間を解放してくれという決議であります。資料第二の北部の決議は、オスプレイは導入しないでくれということであります。第三の資料は中部の決議であり、普天間を即時解放してくれという決議であります。四番目は、オスプレイを阻止したいということであります。五番目の資料は南部の決定事項であり、普天間の即時解放とオスプレイの配備の阻止、六番目は基地負担の軽減と、こういうことであります。
 これらの代表、北部、中部、南部の会長、副会長、全体で三十六市町村のトップでありますけれども、今月二日に上京いたしまして、国会で我々有志と集会を持ちました。そして、その後、総理官邸にも入りまして野田総理とも会見をしていただき、直接その声を聞いていただいたわけであります。
 この決議の第一番目の北部の決議でありますが、これまで北部市町村会は辺野古推進の決議をしておったんです。しかし、今回、たまりかねて辺野古撤回の決議をした。私は、これは驚くべき大きな世論の動きだというふうに思いますが、この動きをどのように政府はとらえられておるのか、防衛大臣の見解を伺いたいと思います。

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国務大臣(森本敏君) 石井先生、今取り上げていただきました三市町村会の決議でありますが、この内容には、オスプレイの反対、それから辺野古の案の撤回、負担の軽減等、沖縄のいろいろな御希望といいますか、がこの中に込められていて、この沖縄の決議の中に入っている要請というのを我々は大変重く受け止めております。
 言うまでもなく、普天間の飛行場というのは宜野湾市の中心部に、学校、住宅が密集しているところに存在しておりますので、この飛行場の固定化はあってはならないと思います。
 今、外務大臣、答弁申し上げましたように、本年四月の2プラス2の共同発表において、この普天間飛行場を辺野古に移設するということが唯一有効な解決策であるということを日米で確認し、このために、何とか沖縄県知事を始め沖縄の方々に理解をしていただくよう周辺環境を整え、特にグアムの移転計画、あるいは嘉手納以南の土地の返還、あるいは負担の軽減等……(発言する者あり)はい。
 これらの決議を重く受け止めて、この決議の内容にもかかわらず、我が国として、国家の安定上必要な辺野古の施設の実現を図るためにいろいろな努力をしていきたいと、このように考えております。

石井一君 私の質問は、北部が推進を撤回し反対に変わったのを政府としてはどのように受け止めておられるかということを聞いておるのであって、そのことについて端的にひとつ答えてください。森本防衛大臣。

国務大臣(森本敏君) 沖縄の方々の要望は、今、決議の中に表現されており、これは先ほど申し上げたように重く受け止めていますが、我が国の国家の安全保障上、辺野古の施設というのは日米で約束をした内容でありますので、この実現を図って努力をしていきたいと、このように考えております。
 
石井一君 今の防衛大臣の答弁だと、沖縄の人々はどう思いますかね。沖縄の決議よりも日米合意の方が大切だというように聞こえますよ。
 なぜ変えたのか。普天間が空かないからですよ。辺野古が完了しなけりゃ、普天間は動かせないでしょう。それまで何年掛かるんですか。環境影響評価の処理もある、知事の認可もある、埋立てが始まる、騒動が起こる、十年掛かる、十五年掛かる。五十兆円、五十兆円、ノー、ノー、ノー。どれだけの金が、五千億、一兆円という予算がこれ掛かる。いつまでたっても終わらない。だから、辺野古はもうやめてくれということを、悲痛な叫びを沖縄の北部が上げたという、それを認識していただかなければならないと思います。
 七番目に、この間、国会で議員が集まりました。民主党に沖縄・本土・米国の連携による沖縄の未来を考える会というのをつくりまして、いろいろ活動をいたしてまいりましたが、今回、超党派で呼びかけました。国民新党、生活が第一、それからみんなの党、さらに、自民党の中からも渋々、しかし積極的にお出かけいただいた方もございましたので、これはあくまでも有志でありますけれども、百名近い議員が集まりまして、沖縄の皆様方とも対話をし、今度は沖縄の声を聞いてこの問題の処理に果敢に取り組むぞ、自民党じゃ、民主党じゃと言っておるような問題じゃない、みんなで共にやろうということで、ここにこの決議をいたしました。決議の最終のところで、超党派の与野党国会議員有志は、沖縄の思いを重く受け止め、県外、国外を含む普天間飛行場の暫定分散移設を推進するため、政府として新たな決断を行い、米国政府と真摯な協議に入ることを強く求めると、こういう決議をしたわけであります。
 議論をしておりますと時間がありませんので、次へ進ませていただきますが、この動きに対して米国ではどういう動きがあったのか、簡単に検証したいと思います。
 まず、昨年の四月、米国の有力な上院議員、カール・レビン上院軍事委員長、ジョン・マケイン、オバマと戦った共和党大統領候補、それからジム・ウェッブ太平洋小委員長がどういう提案をしたと思いますか。辺野古の埋立てはもうやめたらどうか、これはアンリアリスティックでアンワーカブルでアンアフォーダブルと言ったんですよ。意味はお分かりだろうと思います。国民の皆様に申し上げますが、アメリカの有力な上院議員が、これは現実的でないし、機能しないし、とってもこんな負担はできない、こういうことを断じ、嘉手納統合案というのを提案をしたんです。嘉手納統合案というのは少し問題が私もあると思っておりますが、しかし、この上院議員は実力を行使して二回にわたってグアムの予算をサスペンドしたんですよ。間違ったことをやるんなら予算付けないと。私は、アメリカの上院の権威というものを恐ろしいと思った。
 私は、去年の十一月、渡米し、ワシントンでこの三人の議員と長らく話をしたんですよ。そのときにやっぱり超党派の方がいいと思ってね、自民党の佐藤正久、ひげの委員、今日は来ておられない、頼んで一緒に行ってもらった。我が党から大野元裕議員が同行してくれたんですが、真摯な議論をした後に、私の言っていることと意見が本当に合うんですね。このままでは沖縄問題解決しないよと、日本の国会議員もっとしっかりしてくれと、そういう声を直接聞いた。そして、彼らは次々に予算案を阻止してこの行動を取ってくれておる。
 先月、マイケル・グリーンの米国戦略国際研究所、CSISが議会の要請によるリポートを出しました。御存じのとおりです。そして、その中に、これはもう向こうの国防権限法に基づいて米議会に提出しなければならない義務事項になっておる重要なリポートですが、よく森本大臣などはその中身を御存じだと思いますが、中身はもう百何十ページ、二百ページのすごいものです。私もざっと見てみたがね、これだけのリポートを沖縄に対して出すんだなと。しかし、そこで、辺野古埋立ては現在ある中ではまあ今後推進しなければいけない日米両国の合意であるが、しかし、普天間の不測の事態に備えて那覇空港第二滑走路や伊江島の活用を検討せよということをそこに書いてある。
 私が申し上げているのは、要するに、アメリカサイドでも辺野古以外の選択肢を探したらどうなのかということを繰り返し専門家が言っているんですよ、上院の強力なメンバーが言っているんですよ。それに対して日本の政府は、沖縄がここまで悲鳴を上げておるのになおこのまま続けていくと。私はこのセンスが、これこそ、なぜこうなるのか、こういう問題こそ政治主導で解決しなけりゃいかぬ問題だと。過去、ペンタゴンとステートデパートメント、日本の防衛省と外務省の役人が苦労したことは分かる。その顔も立てないかぬが、もう限界が来ておるんじゃないかなと。こういうことを申し上げたいと思うんであります。
 そこで、アメリカのことよりも、それじゃどうするのかという問題ですよ。
 前内閣でこの基地を県外、国外ということを言うたために、大変な迷走をすることになった。しかし、なぜ迷走したのか。県外、国外がどこかということを決めずにその発言があったからだと思うんで、私は動きましたよ。まず、フィリピン行った。まあ委員長もそれで辞めないかぬようになったけど。けどね、仕事はしていますよ。私はアキノ大統領と直接議論をやり、そして、今フィリピンは中国の脅威に困っていますよ。スカボロー礁、あのフィリピン領土に対してどれだけの中国の攻撃が加わっておるか。今、フィリピンは日米との協力を求めていますよ。基地を、スービック、クラークをなくしたけど、何とかこの危機を脱したいと。そういう気持ちに駆られて、あらゆる協力をするということを言ってくれておる。憲法上の制約はあるが、やろうという意思はある。
 最近、森本大臣、フィリピンの国防大臣と合意文書に調印しましたね。簡潔にそれをおっしゃってください。一分ぐらいで結構ですから、どうぞ。

国務大臣(森本敏君) 日本とフィリピンは昨年、フィリピン大統領訪日の際、ASEANの中で初めて戦略的パートナーシップという関係を構築して、従来の経済協力だけではなく、安全保障を含む広範な各種の協力を進めようということを日比で約束したところでございます。
 それに基づいて、現在、安全保障や防衛交流、あるいはいろいろな対話等を進めているというところでございます。
 
石井一君 今の極東の情勢が進めば、フィリピンは恒久的基地はできなくても、ビジティング・フォース・アグリーメントというのがある。ローテーションなら幾らでも基地を置けるという気持ちがある。フィリピンの置かれている今の窮状、日本の置かれている今の窮状を考えた場合、アメリカとともに新しい防衛体制の構築というのができる可能性というのがあるということ、これを申し上げておきたいと思います。
 それからもう一つ、ここが重要なんですが、全国に基地協というのがあります、基地協議会。調べてみたら百以上ありますね。これだけ日本に基地があるのかと思った。しかし、ただ、〇・六%の領土の沖縄に七四%の基地が集結しているところにこの問題があるんだよ。私は、全国基地協の代表と次々と会見しました。この問題、どうだろうと。しかし、私は救われた。そこに温かみがあった。基地協の皆さんは、我々はオールジャパンでシェアするんならいつでも受けると、沖縄に押し付けがこれまでやり過ぎたと、政府も何も言うてこなかったと、しかし、我々は日本人として沖縄の苦しみを本土として請け合う気持ちはあるということをどれだけの基地協の皆さんが表明をされたか。
 一々名前を言うとこの基地の問題は潰れるんですよ。一つのところへ持っていってあなたと言えば、すぐ反対勢力が出て潰れちゃうんですよ。しかし、みんなでやろう、みんなで渡れば怖くないとかいうのもあるが、みんなに頼めばみんなが受けてくれるという体制があるんですよ。なぜ七四%ある沖縄だけに押し付けている基地を全国に分散することができないのか。私は、日本人の善意と好意というのはそこに存在しておると思います。
 官房長官、あなたは内閣を補佐し、外務、防衛に目の届いておる人ですが、この際、全国の基地協の基地の受け入れる能力のあるその代表を集めて、政府としてお願いしてごらん、沖縄基地が危機状態にあるんだ、協力してくれるかと。間違いなくポジティブな答えが返ってまいります。御所見を伺いたい。

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国務大臣(藤村修君) 石井先生の大変に御熱心な今の動きというものも、私、時々に聞かせていただいております。それで、政府として、かつてには例えば全国の知事会が東京に集まられる折にそういうことを提案しようということはございまして、それは今後もそういう方策を考えていくべきであろうと思います。
 それから、今、基地協のお話でございました。基地協につきましてそれぞれ各都道府県でどういうふうに本当にお考えなのか、これはもう少し私の方でも検討を調べさせていただきたいと思います。
 
石井一君 標準的な官僚答弁みたいになっていますが、私が申し上げたいのは、基地の中には受けていただけるところがたくさん存在しているよと、沖縄の苦しみをもう少し分かち合うことはこの国の善意によってできるんだよと、それに対して誠意を尽くし努力をしていただきたいということを私の立場からお願い申し上げておきたいと思います。
 そこで、資料八、これはこの間の連休にあった2プラス2と日米首脳会談のことです。ここで日本のマスコミもなぜこの問題を看過するのかというふうに思うんですが、まず、資料八の中には大きなこれまでと違う変化が見られた。ここは玄葉外務大臣が出席をされましたので、そのときの問題で私が注目をしましたのは、双方の立法府との協議を続けることの重要性に留意、これまで政府が勝手にやっておったのに、立法府との協議を重視するということが文書の中に入っておるのと、もっと重要なのは、辺野古を埋め立てるんだが、その前にいわゆる条件付の言葉が、これまでに特定された唯一の有効な解決策がということになっておるんですが、これまでに特定されたということを限定したということは、私は、2プラス2において辺野古以外のこだわりの限界を感じてこういう議論をされたんじゃないかなと。それでなかったらこんな言葉入れる必要ないんですよね。これは重要な変更が行われたんじゃないかなと思うんですが、その辺のことについて、そんな奥の奥のその話は要りません、イエスかノーかぐらいで答えていただきたい。どうですか。

国務大臣(玄葉光一郎君) この2プラス2の文章を最終的に確定をしていく中で、石井先生が今おっしゃったこの立法府との協議の問題、そして唯一有効な解決策である、しかもその前に、これまで特定されたというふうに載せたというのは、最終的に様々な調整を行った結果として出てきているということでございます。
 これは、奥の奥の奥まで言う必要はないということなので申し上げませんけれども、ただ、CSISの報告書にもあるように、結局、辺野古が一番良いのだけれども様々なことも併せて検討してねというのがCSISの言わば報告書の内容ですね。ポイントは、私は、先生がおっしゃったように、他に成功する見込みのある候補地というものがしっかりあるかないかということだと思うんです。それがない中で、今まで特定されてきた辺野古について却下するということは駄目だと書いてあるのがまたCSISの報告書でもある。
 ですから、私は、辺野古云々というよりも一般論として、負担を、米軍の基地、特に米軍の専用基地の七四%が沖縄に集中している、一般論として、全国で負担を分かち合うべきだと私も常々そう思っています。そういう意味で、やはりそこはまさに、そういう一般論としては私もそう思うんでありますが、やはり日米両政府としては、現時点でこの辺野古にコミットしていくということに変わりはないということは申し上げたいというふうに思います。
 
石井一君 この議論は一度二人でしっかりやりましょう。ここでやる余裕はない。ただ、大きな変化が2プラス2で起こっているなと。日本のマスコミはなぜこれをもっと注目しないのだろうか。
 さらに、その後の野田・オバマ会談の首脳会談において、資料九ですよ、五つのことが要約されて公表された。在日米軍の再編とともに、三、北朝鮮、四、TPP、五、イラン核問題。しかし、二に注目しますよね。ここに書いてあることは、米軍普天間飛行場の名護周辺の移設には直接議論しなかったと、首相は、お互いに議会と合意形成をし、緊密なコミュニケーションを取って進めたいと提起したと。総理、あなたは提起されたんですか。

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内閣総理大臣(野田佳彦君)
 この普天間飛行場の名護市辺野古移設に直接言及せずというのは、これは2プラス2でもう突っ込んだ議論をしていたので、あえて首脳会談では言及していないということであります。
 その後の、一つの案を念頭にと書いてありますが、これは何かに、念頭に置いてという議論ではなかったと思います。これは、例えば米軍再編というのは両国政府にとって相当な財政措置が必要になってまいります。そういう意味からも、両国の議会としっかりコミュニケーションを取らなければならない、そういう気持ちを私は持っておりますので、それをその場で言ったかどうかなんですが、気持ちとしてはそういうものは持っているということでございます。

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石井一君 今の答弁はちょっと私は不満ですよ。
 これは、これまでは政府と政府がソール・レスポンシビリティーを持って外交交渉をするんですが、議会に遠慮をしながら、周囲の国際情勢の変化をも見ながら柔軟に対応しようということを両首脳が合意したということなんですから、これは非常に大きな意味があるというふうに判断をいたします。このことについては、また総理、二人でしっかりと話をしようじゃないですか。
 そこで、ここからが難しいところなんですけれども、この問題を解決するのに今どういう情勢にありますか。アメリカは世界的な戦略を全面的に変えようとしているんですよ。イラクから撤退し、アジアへ方向を持っていき、集結している基地を分散して、そしてさらに財政的な逼迫した状態の中に向こう十年間、五千億ドル、予算をカットしようとしているんですよ。この時期に沖縄問題を決着付けなければ、また十年、二十年掛かるという問題に私はなるんじゃないかと思います。重要なタイミングを逸することなく、ここで果敢に交渉をしていただきたいというふうに思うんです。
 ところで、問題はオスプレイですよ。基地の問題だけで交渉をしようと思っているところへ、オスプレイが入ってきた。このオスプレイ、その次に地図がありますけれども、これ、普天間の地図がございますね。こういう密集地なんですよ。この白いところが全部民家なんですよ。これ、今日パネルにしたかったんだが、時間が間に合わなかったんだ。昔、ラムズフェルド国防長官がこの上を飛んで降りてきて、こんなところで事故が起こらぬ方が不思議だなと言った。それから、世界一危険な空港だと言っている。
 ここへオスプレイを入れるんですかね。防衛大臣、そういう御計画ですか。
 
国務大臣(森本敏君) オスプレイの配備については、もう先生御承知のとおり、現在、今年起きた二回のオスプレイの事故の調査を、我が方として原因究明のために事故調査結果を聞いているというところです。一回目は既に聞きました。間もなく発表します。二回目は今週ワシントンで説明を受けます。
 この二つの原因をベースにして、どうやって飛行の安全を確認するかという手続を踏んで、日米間で合同委員会を中心に飛行の安全を確保する措置をとりつつ、普天間に……(発言する者あり)普天間に配備をするという計画を進めています。
 
石井一君 今も、事故がどうだ、何がどうだと。やれフロリダだ、やれエジプトだというような話ばかりするでしょう。なぜもう少し、デメリットばかりやらずに、メリットを話をしないんですか。
 私が言うまでもなく、これまで入っておったCH46というのはもう老朽化している。全部機種入れ替えなきゃいかぬ。オスプレイを全世界的に入れ替えているんだ。オスプレイというのは、何かおとぎの国のコウモリみたいな格好をしているから、何か恐ろしそうなものに見えるよね。私はそう思う。けれども、そのメリットというのは、速度は二倍、CH46に比べて、積載量は三倍、作戦半径は四倍、航続距離は五倍というものですよ。
 この今の時期に、中国、朝鮮の脅威にオスプレイがなかったらどうなるかという戦略的問題もあれば、この間のような津波が沖縄へ来た場合に、壊滅的な打撃を受ける場合に、そのときの救助だとか復旧だとかなんとかというときにこれがどれだけ役に立つかということも、事故のことばかり言わずに、そういうことを説明、私は沖縄へ行ってやりましたら、ああ、そんなことがあるんですか、こういう話になっているんですよ。私は、こんなもの、もろ刃のやいばみたいなものやん。使い方によってはすごくいいものでもあり、使い方によっては大変恐ろしいものであると。しかし、こういう面があるんだということをもう少し真剣に防衛大臣は説明をされる必要がある、私はそれは注意を喚起しておきます。それについてごたごたやられたら、今から重要な議論を総理とやろうとしておるんですから、それはまた今度あなたと一対一で話をしましょう。
 そこで、どうでしょう。どの沖縄の市町村会も全員オスプレイの導入の、普天間はノーだと言っているんですよ。私は、簡単に事故の安全性の調査が出たらオスプレイを普天間に入れるなんということを考えておったら、恐ろしい事態が起こるんじゃないか。十月危機というのは沖縄のそこにあるんじゃないかなというふうに思うんですよ。私はもう少しその点は慎重に考えていただきたいし、僕はここのところ、五回、六回沖縄へ入ったですよ。ほとんどの市町村の皆さんとも酒を酌み交わしながら対話をしてきた。多くの人々と入り、沖縄の人々がなぜ今ここまでこういう気持ちになるのか。ほうり出され、ほうり出され、戦後一貫、何の手も自民党政府も民主党政府もやってくれていないじゃないか、しかしこうなんだということを聞いたときに、私は、今が最大のピンチだけれども最大のチャンスになるんじゃないかという気持ちがするんです、政府が本気でやるということをやれば。
 普天間へ入れるということは、簡単なようですけれども、沖縄の気持ちを考えると難しいことですよ。日米安保と地位協定からしてみれば、ヘリコプターを新しくするんだから当然入るということになるけれども、八月八日に行われる決起大会が九月九日に変わっているけれども、今の沖縄の険悪な空気というふうなものを考えた場合に、簡単に十月に普天間にオスプレイが入るということに関しては、更に更に重要な検討が必要だということを申し上げておきたいと思います。
 願わくば、別の方法がないか。私の頭の中にはありますよ。しかし、私はここではそのことは申しません。しかし、新しいロードマップはあるはずだと。受入先は、県外でも国外でも、グアムでもテニアンでも六千ヘクタール、普天間の十五倍、二十倍の基地が空いているんですよ。その周辺には、サージキャパシティーとして、伊江島にしても馬毛島にしても、そういうことをできる土地があるんですよ。それらを一切やらずに、日米合意が辺野古だ、普天間を空けるんだといって永久に固定化を続けておる政府の怠慢というか、そういう姿勢が今問われておるというふうに私は思うのでありますが、どうか、日米安保の崩壊の危機が簡単に考えておったら目前に来るという、そういう厳しさというものをお考えいただきたいと思います。
 近いうちに解散する、私はそれはいつやなんて、そんなやぼな質問をここではしませんよ。しかし、いずれ近いうちに解散があるでしょう。オバマ大統領も再選に直面しているんですよ。野田総理もそれなりの状況にあるんですよ。両首脳はお互いにその問題に触れるほどの余裕はないという状況に置かれておるんですけれども、この問題をその前に解決すれば、どれだけ大きなメリットがオバマ政権に、あるいは日本の国に来るかということは想像に絶するものがある。今こそ最大のチャンスであるということを私は申し上げさせていただきたいなというふうに思うんです。
 こういう外交問題は、何十年と積み重ねた中に、官僚と官僚とが努力を重ね英知を絞って今日まで来ていますので、普通はそうはいきません。しかし、この危機はもう十月に来ているんですよ。本来なら議会も入れて協議会をつくってこれ協議してくれという提案したけれども、それだけの余裕はない。そうなると、今ここはトップとトップの話合いです。あなたが直接ホワイトハウスに連絡をし、沖縄の情勢と沖縄の世論が急変している、オスプレイをここで入れなければいけない、日米安保の根幹にかかわる問題が近づいておる、自分が行けなくても特使を送るから話をしてくれというんなら、私、特使で行ってあげてもいいですよ。しかし、まあ私、そういう出しゃばりはしません。あなたの周りに有能な政治家はたくさんいる、本当にね……(発言する者あり)おるねん、おるねん、心配するなよ。そのことを私は強く御忠告申し上げたいというふうに思います。
 これが、これから先の沖縄の基地の極東における重要性、すごい重要ですよ。尖閣で起こっている問題、竹島で起こっている問題、単なる領土問題じゃないですよ。二十世紀の前半に起こった歴史の古い傷跡が今ああいう形で現れてきているんですよ。なぜ、ここ五十年、百年、その後もっと中国、韓国と関係を改善しなかったのかということが今後悔されるけれども、これは民主党政権だからこんなこと起こっておるんじゃないんですよ。どの政権が来たって、日本国の宿命としてなっておるときに、沖縄の基地がなくなったらどうなりますか。
 そうなりますと、今ここで、従来のやり方で政府とアメリカはこうだからというようなことでは沖縄の皆さん方は納得しない。しかし、沖縄にも心もあれば、全国基地協にも温かい心があるということをお考えをいただいて、勇断を持って総理が行動されることを私は国民とともに期待したいと思いますが、御答弁していただけますか。

内閣総理大臣(野田佳彦君) 橋本総理とモンデール大使の合意が平成八年だったと思います。それから、ロードマップ、その辺野古への移転というのが平成十八年でした。それ以来ずっと膠着状態が続いてきて、また紆余曲折もあったことがあって、普天間が固定化されるのではないかという強い懸念が生まれていることは私も十分承知をしていますし、先般も石井先生に仲介をしていただいて、北部、中部、南部の市町村会の皆様とも資料を手交していただきながら意見交換をさせていただきました。そういう問題意識を重く受け止めながら、しかも、アメリカの議会でもいろんな声があるということも、これもよく承知をしています。
 そうした中で、今、私は重大な局面を迎えているのだろうと思います。オスプレイについては、これは安全性をきちっと日本なりにしっかりと検証した上でじゃなければ飛行運用させないということでありますが、一方で、その有用性ということもしっかりと訴えていかなければいけないことはこれ間違いございません。こういう今の厳しい状況の中で、南西諸島をどうやって防衛するのかという南西方面の防衛力、抑止力、考えたときのことも含めて、沖縄の皆さんとしっかりコミュニケーションをしていくということも大事だと思っています。
 そういう中で、いろいろとそれぞれの時系列で判断をしなければいけない問題があると思います。辺野古への移設については、2プラス2で改めて政府としてのお互いの確認をしておりますが、そういうことを踏まえながら基本的な立場を御理解いただけるような努力をしなければいけないと思いますが、これ以上のことはまた一対一でお話をさせていただければというふうに思っております。

石井一君 一対一を期待しますが、時間がない、切迫している、この機を失ったら沖縄問題は永遠に解決しない。オスプレイの問題も目前にある。オスプレイの入れ方、普天間の空け方、今後のロードマップということに知恵は幾らでも出せる。これを超党派でやりましょう。そして、あなたが強引に消費税を通した、しかし、ようやく政治が動き出したという評価もある。もう一つ、この沖縄の問題を、もう一つ動いた、大きな岩が、大きな石が動いたと、こういう結果を、私が期待するんではなしに沖縄のたくさんの人々が、日本の国民の多くが期待しているということを申し上げさせていただきたいというふうに思います。
 あと四分あります。私は、一時間近くやれと言われたときに、もっと時間が欲しいなと思ったぐらいなんですが、今日は意図的にこの時間で止めようと思う。それはね、委員長、あなたは私の後を引き受けてくれてありがとう。ここから見る姿とそっちから見る姿とごっついこの委員会違うよ。例えば、まあこの委員会はうるさいのようけおるのや、もうやかましいのがね。こんなやかましいのでも、何かこの間、外国どうのこうのいったけれども、まだ座っておるやないか。私は驚いたよ。あのね、この委員会は美人が多いんですよ、特になぜこんなに美しい人たくさんいるのかなと。そういうことよりも、今日も中継が十二時直前まであります。最後の会派はつらいんですよ。最初のトップバッターがオーバーすりゃ、後はどんどんどんどんオーバーして自分のところに来るんですよ。これを繰り返しやってきたんですよ。
 私は、柳田稔というのは見識ある政治家だ、委員長としては中立公正に委員会を運営してほしい。そして、中立公正ではあるが、気持ちの上では野党七、与党三ぐらいの配慮でいいんですよ。特にスモール政党に対しては、九、一ぐらいの配慮をしながらやっていったら名委員長だということになりますから、ひとつあなたの御健闘を祈り、感謝を申し上げ、強く政府に沖縄問題に対してこの一月最後の瞬間であると、私にはいろいろの考えはあるが、この席では申しませんけれども、一対一の会話を通じながら、この問題を処理し、新しい日本の政治をつくろうじゃないですか。強く要請いたしまして、私の質問を終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。


委員長(柳田稔君) 以上で石井一君の質疑は終了いたしました。(拍手

“石井一とJATP in Tokyo”を開催

   来る8月24日(土)夕刻、日比谷公会堂で“石井一とJATP in Tokyo”を開催いたします。ジャズのお好きな方は奮ってお出かけ下さい。昨年に続いての公演です。 
   思い起こせば1953年秋、日劇を興奮の渦に巻き込んだ歴史的ジャズの祭典、JATPをいまここにもう一度再現し、あの時代にタイムスリップし、ノーマン・グランツならぬ石井一がプロデュースするジャズの新企画を提供することにいたしました。

2012 石井一とJATP in Tokyo VOL2(出演者) 

今、国内外で最も活躍している30 代から40 代の最強なジャズメンを一堂に会して、ここでしか聴けないspecial なメンバーを集めました。

片岡雄三(トロンボーン) カタオカ ユウゾウ
ハクエイ・キム(ピアノ) ハクエイ・キム
上村 信(ベース)    カミムラ シン
大槻"KALTA"英宣(ドラム)オオツキカルタヒデノブ
荻原 亮(ギター)     オギハラ リョウ   
岡崎好朗(トランペット)  オカザキ ヨシロウ
川嶋哲郎(テナーサックス)カワシマ テツロウ
多田誠司(アルトサックス) タダ セイジ
谷口英治(クラリネット)  タニグチ エイジ
石井 一(MC) イシイ ハジメ
 
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   ノーマン・グランツ(ジャズ・プロモーター・プロデューサー)の率いる総勢30名を超えるアメリカのトップ・ジャズマンが1953年の11月に来日した。敗戦後間もない荒廃した東京・羽田空港へ到着し、オープンカー10数台を連ねて銀座へ入った。私は当時18歳の高校三年生だったが、ノーマン・グランツを乗せてパレードの先頭車・クライスラーを運転した。私の父が当時、日本マーキュリーレコードの社長をしていたが、私財を投げ打ってこの企画を受け入れた。いま回顧すれば父もよくそれだけの決心をしたものだと改めて感激を覚えている。
 あれから59年の歳月が流れたが、この最大のイベントは私が初めてジャズにめぐり会った瞬間であり、私の青春時代の古き良き貴い思い出として今も鮮明に生きている。
 JATPとはJazz At The Philharmonic の頭文字をとったもので、各楽器の一流のプレーヤーを一堂に集めて演奏するスケールの大きいジャムセッションである。
自由奔放で単純明快にスイングしてブローする特殊集団なのである。プロ野球のオールスター戦と同じ様な豪華なラインアップで、卓越した個人技をセールスポイントとする超一流のジャズミュージシャンを臨時編成で集めた即興のグループであった。
 1940年代はジャズの黄金期であり、ビックバンドの最盛期であった。オールドジャズファンなら誰でも知っているカウント・ベーシー、デューク・エリントン、グレン・ミラー、ベニー・グッドマン、ウッディ・ハーマン、ハリー・ジェイムスなどは当時の代表的なビッグバンドだった。ノーマン・グランツは全米各地から秀でた有能なプレーヤーをあらゆるグループから発掘してきた。演奏では楽譜は使用せず、個人のプレーヤーが即興合奏する。しかし技術が抜群でインスピレーションとフィーリングが卓越しているのでユニゾンのハーモニーも迫力満点で実にダイナミックなものだった。一人一人のプレーヤーにとっては、与えられた譜面に従ってビックバンドの一構成員として制約されたプレーをするよりも、はるかにリラックスして楽しい演奏ができた。自由奔放に実力を発揮し、思いのままのプレーができる。聴衆の生の反応を楽しみ、両者が一体となるJATPは興奮と熱気のルツボと化した。
 グランツは全米各地でそして全世界でJATPを企画し大ヒットした。1950年代に入るとジャズ界の大物はほとんどグランツの傘下に入った。ジャズ史上ではグランツほど多くの一流のジャズメンと契約したプロモーター兼プロデューサーは他にいない。強力なるラインアップがJATPの人気を不動のものとし、プレーヤーもJATPのメンバーにランクされることは超一流プレーヤーとしての認知とプレステージを得ることとなった。
 1953年、グランツは全米での最高のメンバーを率いて来日したが、そのころはスイングジャズの最盛期であったと言える。その時の主たるメンバーを最後に列記するがまさに空前絶後の豪華版だった。日劇のステージの上で展開されたリズム感あふれたジャムセッションのド迫力と、それと対照的なバラードメロディの美しさは形容ができないほど魅力的だった。当時のJATPの来日は日本のジャズ界に有形無形の影響を与えてくれた。あの秋吉敏子がオスカー・ピーターソンに見いだされたシンデレラ物語もこの時生まれた。
当時はティーン・エイジャーの三人のアイドル娘、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみが日劇の楽屋に連日通ってきて有名プレーヤーのサインを、私を通して求めていたのもつい昨日のことのように懐かしい想い出である。この時のJATPの来日はまさに日本のジャズ界に空前のセンセイションを起こした。日本のジャズマンやジャズファンに与えた興奮と陶酔はまさに空前絶後のインパクトを残してくれた。 しかし、JATPの魅力と迫力は当時の日本ではほとんど知られてなかった。この来日を企画し受け入れることは大変危険な賭けだった。しかし、父はそれにあえて挑戦し成功させた。

1953年来日のノーマン・グランツとJATP in Tokyo のメンバーは以下の通りです。

(トランペット)ロイ・エルドリッチ(42歳)
(トランペット)チャリー・シェイヴァース(36歳)
(トロンボーン)ビル・ハリス(36歳)
(アルトサックス)ベニー・カーター(46歳)
(アルトサックス)ウィリー・スミス(44歳)
(テナーサックス)ベン・ウェブスター(44歳)
(テナーサックス)フリップ・フィリップス(38歳)
(ピアノ)オスカー・ピーターソン(28歳)
(ギター)ハーブ・エリス(32歳)
(ベース)レイ・ブラウン(26歳)
(ドラムス)シェイシー・ハード(35歳)
(ドラムス)ジーン・クルーパー(44歳)
(ヴォーカル)エラ・フィッツジェラルド(35歳)
(MC)ノーマン・グランツ(35歳)

 今回も昨年同様、父の思い出とともに企画させていただいた。お陰で現在活躍されている一流のジャズマンとの交流もかなり出来た。これらジャズメンの中から特に有能でお客さんの人気も高いプレーヤーの方々に集まって頂いた。念のため59年前の来日JATPメンバーと今回の日本版JATPメンバーの年齢を比較してみて驚いた、アメリカ側は現在は残念ながら一人も生存されていないが、59年前来日時は、最年少レイ・ブラウンが26歳、最年長ベニー・カーターでも46歳、平均は30歳代の若さだった。
 日本の若手にもJATP流のプレーを聴かせるスイング系がいない筈はないと思うので、次回も59年前の来日グループに比肩する様な年代のプレーヤーを是非集めてみたい。そんな思いも含めて今後このJATP企画を毎年継続して行い、多くのミュジシャンに登場頂き、日本のジャズの発展の為に一層寄与したいと念願している。

富士山を世界遺産に!

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   私が会長を務める民主党世界遺産議員連盟では、環境省から8月11日に「世界遺産登録に向けた富士山クリーン大作戦」プロジェクトを行う旨の説明を受け、私も会長として「富士山環境美化前期クリーン作戦2012~世界遺産登録に向けた富士山クリーン大作戦~」に参加致しました。いうまでもありませんが、富士山の世界遺産登録に向けた機運を高めるため、静岡県側とも連携して清掃活動実施しました。
  私が参加した山梨県側には国や県、地元市町村、観光団体、民間企業など54団体、一般ボランティアの方々など、約1,600人が参加し、出発式には平野博文・文部科学大臣、南川秀樹・環境事務次官も出席しました。
 9時過ぎに富士吉田市の富士北麓公園を出発し、富士山五合目周辺と河口湖畔に分かれて清掃活動を実施、おりしも当日は日本テレビ系列「24時間テレビ」の関連事業として募集したボランティアによる清掃事業「富士山をきれいにするプロジェクト」も河口湖林道沿いで活動されていました。また、清掃活動に加え、環境美化を啓発するための生分解性ビニールを使ったクリーンバッグや、世界遺産登録をPRする缶バッジを登山客や観光客の皆様に配布いたしました。
 清掃作業終了の11時半過ぎには回収されたごみは、富士山五合目周辺で可燃物120㌔不燃物80㌔、河口湖畔では可燃物35㌔不燃物25㌔、24時間テレビボランティアは可燃物5㌔不燃物20㌔で、併せて285㌔ものゴミを回収しました。 
 我々世界遺産議員連盟では来年、日本が世界遺産に登録されて20周年にあたることも踏まえ、世界遺産法を議員立法で進めることを検討しており今後とも、関係団体からのヒアリングを重ね、年内に提出できるよう頑張りたいと思います。

 尚、後期クリーン作戦は9月に行われる予定で、その際も是非参加したと思います。